山口組組長就任
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2005年(平成17年)3月、弘道会の跡目を同会若頭・髙山清司に譲って二代目弘道会総裁に就任し、同時に弘田組組長をも名乗る。同年5月、五代目山口組若頭に就任し、7月には六代目山口組組長に就任した。 山口組六代目を継承すると、確実視された銃刀法違反裁判における実刑判決を念頭に、最高幹部人事にあたる「幹部」職創設、倉本組と小西一家の名跡復活から、國粹会を傘下に収める形での東京進出、五代目会津小鉄会会長との舎弟盃に代表される親戚団体との関係強化を数か月のうちに行った。 そして11月29日付けで上告が棄却され、懲役6年の実刑判決が確定。12月5日に出頭し大阪拘置所に収監され、翌年2月には府中刑務所に移監された。
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