尾州尾張藩の明倫堂
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寛延2年(1749年)創立。天明2年(1782年)に徳川宗睦が再興し、天明3年(1783年)に開校。細井平洲が初代督学(校長)となり、岡田新川、石川香山、冢田大峯、細野要斎ら儒学者が後を継いだ。藩士の子弟だけでなく、農民や町人にも儒学や国学を教えた。初期の生徒数は約50名だったが、後に約500名まで増加している。天明5年(1785年)に聖堂が設けられ、天明7年(1787年)から復刻を行った『群書治要』などの漢籍は明倫堂版と呼ばれ、木活字版が多い。 明治時代初頭には各藩校でも教育改革の動きが始まり、明治2年11月(1869年)に明倫堂を「学校」と改称し、督学を廃するとともに学科や教授職種の改革が行われた。行政機構が整い、明治4年7月(1871年9月)に教育行政を担う文部省が設立されると、同月に廃校に至り、1875年(明治8年)に跡地に名古屋城内から名古屋東照宮が移された。のち、1899年明倫中学校として復活。愛知県立明和高等学校として現在に至る。
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