尼崎事件・被害者Y
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:44 UTC 版)
「藤沢市母娘ら5人殺害事件」の記事における「尼崎事件・被害者Y」の解説
2件目の藤沢事件でFと共犯関係となり、その後尼崎市内で刺殺された3件目被害者・少年Y(19歳没)は1962年(昭和37年)7月4日生まれ。死亡当時は東京都江東区出身・元ゲームセンター店員で、かなり寂しがり屋な性格だった。 台東区内の小学校に通学したが、小学5年生の時から家出・恐喝を繰り返したため、中学に進学できず埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)内の教護施設に入った。その後も両親の離婚・父親の自殺が重なり、16歳の時にシンナー乱用で検挙され、1978年10月に小田原少年院へ送致された。小田原少年院時代には1979年4月から約半年間にわたりFと同室になり、入所から1年後に仮退院したが、その半年後には再びシンナー乱用で久里浜少年院へ送致された。1981年6月に久里浜少年院を仮退院してからは浅草のゲームセンターで働いていたが、1982年4月にシンナー乱用で警視庁新宿警察署に検挙され、2年間の保護観察になり、東京都内の更生施設に預けられた。その後、広告宣伝会社への就職が内定していたが、同年5月14日に無断で施設を飛び出して暴力団風の男と行動を共にするようになり、5月24日(母娘3人殺害事件の3日前)深夜に新宿界隈を徘徊していたところ、歌舞伎町でFと再会した。
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