少年 青年期 戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 18:12 UTC 版)
京都市に生まれる。父親は、当時外車を所有し運転するハイカラな人物であった。幼少の時から絵が好きでデッサン等に秀でていたが、当時時代の最先端であった機械工業に日本の未来を夢みて1944年(昭和19年)神戸工業専門学校(現・神戸大学工学部)機械学科に入学する。第二次世界大戦中は、川崎車両(現川崎重工業車両カンパニー)に学徒動員され鋳造を學ぶ。戦後を明石の川崎航空動員中に迎えた。神戸工業専門学校1947年(昭和22年)を卒業後、戦争なき世界、芸術の未知を新たに志し、東京芸術大学彫刻学科に入学する。彫刻への動因のひとつには、工業専門学校の卒論で「美術鋳造 - 大仏の鋳造 - 」を主題にしたことだと語っている。
※この「少年 青年期 戦争」の解説は、「水井康雄」の解説の一部です。
「少年 青年期 戦争」を含む「水井康雄」の記事については、「水井康雄」の概要を参照ください。
- 少年 青年期 戦争のページへのリンク