小笠原氏の始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 06:24 UTC 版)
小笠原氏の祖の小笠原長清は、滝口武者として高倉天皇に仕えた加賀美遠光の次男として甲斐国に生まれた。長清は『平家物語』に「加賀美小次郎長清」の名で登場しており、遠光の所領の甲斐国小笠原を相続して小笠原氏を称した。南部氏の祖の南部光行は長清の弟である。平家が壇ノ浦の戦いで滅亡した元暦2年・寿永4年(1185年)に、信濃国を知行国とした源頼朝によって遠光は信濃守に任ぜられたが、長清はこの地盤を受け継ぎ、小笠原氏は信濃に土着してゆく。なお小笠原氏の家紋である三階菱は、本来は加賀美氏の家紋である(現在では遠光ゆかりの寺院のみが、三階菱の中に「王」の文字を入れた原型を用いている)。 なお、長清の子孫には小笠原氏が守護となった阿波に土着した者がおり#阿波小笠原氏となる。また、阿波小笠原氏の一部は元寇の戦功により石見に所領を得て#石見小笠原氏となる。
※この「小笠原氏の始まり」の解説は、「小笠原氏」の解説の一部です。
「小笠原氏の始まり」を含む「小笠原氏」の記事については、「小笠原氏」の概要を参照ください。
- 小笠原氏の始まりのページへのリンク