小磐梯の形成について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 06:52 UTC 版)
「1888年の磐梯山噴火」の記事における「小磐梯の形成について」の解説
1888年の噴火に伴う山体崩壊によって消滅した小磐梯の形成時期は、約5万年前という説と大磐梯と同じく新期の磐梯火山の活動によるものであるとの説がある。約5万年前との説の根拠は、絵画資料などから復元された消滅前の小磐梯は、浸食があまり進んでいない大磐梯よりも開析が進んでいたと考えられること。そして小磐梯の火山活動によって噴出したと考えられる火山灰の層序を根拠としている。 一方、大磐梯と同じく新期の磐梯火山の活動によるとする説の根拠としては、復元された小磐梯は古期の火山活動によって形成された櫛ケ峰と赤埴山よりも浸食が進んでいないこと。また磐梯山の北西部に見られる、溶岩上の皺や溶岩堤防がはっきりと残っている長さ約4.5キロメートル、幅約750メートル、厚さ約50メートルの、磐梯火山の溶岩流の中でも最も新しい時代のものと判断される溶岩流について、その流出経路から考えて小磐梯の活動によるものであるとして、磐梯火山の中でも最も新しい時代に形成が進んだ火山体であると見なしている。 1888年に消滅した小磐梯は、各種資料による推定によれば、大磐梯の北ないし、やや北北東寄り、櫛ケ峰の西ないしやや西南西寄りにあって、標高は1819メートルの大磐梯よりも数十メートル低い、1740メートルから1760メートル程度であったと考えられている。また小磐梯の西側山体には小磐梯の一部と見なされていた湯桁山と呼ばれる峰があり、湯桁山から北西に延びていた尾根周辺には上ノ湯、中ノ湯、下ノ湯という3つの温泉があったと考えられている。
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