小山田氏の記載
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 12:38 UTC 版)
『小田原衆所領役帳』には甲斐武田氏家臣・譜代家老で郡内領主の小山田氏の人物が他国衆として記載されている。『役帳』に記載されているのは小山田氏の本貫地である武蔵小山田荘で419貫812文の知行を与えられている「小山田弥三郎」と伊豆国内で381貫100文の知行を与えられている「小山田弥五郎」で、前者は小山田信有(弥三郎)、後者は小山田信茂に比定されると考えられている。 武田氏と後北条氏は天文13年(1544年)に同盟関係となり(甲相同盟)、小山田氏は武田・北条間の外交において取次を務めている。 武田氏麾下の国衆である小山田氏が後北条氏の分限帳に記載されている事実や、武蔵・伊豆における知行の実態を巡っては古くから議論があり、後北条氏が小山田氏を味方に引き込むために知行を与えたとする説や、後北条氏は伝領の由緒を確認しただけで知行の実態は無いとする説、小山田氏が武田・北条両氏に両属していたとする説などがある。また、『役帳』には小山田氏のほか飯富左京亮・向山氏など後北条氏の取次を務めた武田家臣の名が見られることから、『役帳』に記載される知行は取次に対して知行が宛行われる取次給であるとする説などがある。
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