小山田氏の子孫
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江戸時代に越前松平家家臣、のちに会津松平家家臣・米沢藩主上杉家家臣となった小山田多門家は小山田氏嫡流を称している。小山田多門家は、『新編会津風土記』によれば当主である貞政(将監)が武田氏の滅亡後に後北条氏に仕え、続いて井伊直政、上杉景勝を経て越前松平家に仕官する。 元和9年(1623年)に越前松平家が改易されたため、貞政嫡男・貞重(多門)の子である甚五兵衛が上杉家に仕官し、貞政次男の伝四郎が会津松平家に仕官したという。上杉家家臣・小山田多門家の子孫には貞重が作成した「小山田多門家伝 平姓小山田氏系図写」が伝わっている。同系図では始祖・貞政の母を保科氏、室は保科正俊の子・内藤昌月(大和守)の妹としている。同系図は由緒主張の一環であると考えられており、会津松平家家臣・上杉家家臣の小山田氏双方が多門家の嫡流を称している。 ほか、水戸藩であった佐竹氏に仕えた一族、明治時代には衆議院議員の小山田義孝らが信茂の一族と称している。
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