小山田氏の系譜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 18:53 UTC 版)
江戸時代後期の文化11年(1814年)に編纂された『甲斐国志』では小山田氏は武蔵国秩父平氏の末流とし、平重弘(秩父太郎大夫)の次男有重、さらにその子の行平(正しい諱は「行重」[要出典])の流れを戦国期小山田氏の祖としている。『国志』の根拠と見られている『千葉上総系図』では平重弘の子に有重、有重の子に行平の存在を記している。南北朝期の『尊卑分脈』でも同様の系譜を記している。有重は兄重能の子が鎌倉幕府有力御家人の畠山重忠で、有重の三男である重成は稲毛氏を、四男の重朝は榛谷氏を、五男の有朝は田奈氏を、六男の重親は小山田氏を、七男の行重は森氏を称した。[要出典] いずれの系図においても小山田氏は武蔵小山田荘に権益を持った「小山田別当」と記され、「別当」は牧の管理者を意味することから、小山田荘は本来牧であった可能性が考えられている。 『勝山記』によれば永正17年に行われた小山田弥太郎13回忌法要の際には施主が藤原姓を称しており、越中守信有の代になり平姓を意識した可能性など検討の余地が指摘される。
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