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小山満雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/23 13:02 UTC 版)

小山 満雄
生誕 1877年3月9日
日本 栃木県宇都宮市
死没 (1936-12-25) 1936年12月25日(59歳没)
日本 東京
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1898 - 1925
最終階級 陸軍少将
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小山 満雄(おやま みつお、1877年(明治10年)3月9日[1] - 1936年(昭和11年)12月25日)は、日本の陸軍軍人日露戦争では第三軍の一員として戦い、のち歩兵第十六連隊長を務めた陸軍少将である。

経歴

会津藩藩士小山満峻の長男として宇都宮に生まれる。満峻は戊辰戦争後に栃木県に勤務した[2]。小山は陸軍士官学校9期[3][* 1]で、稚松会創立会員の一人[4]。陸士同期では武川寿輔などが同様であった。小山の原隊は歩兵第十五連隊高崎)、兵科歩兵であり、1898年(明治31年)6月に歩兵少尉へ任官している。中尉時代に日露戦争に出征し、旅順二〇三高地の攻略戦に加わった。1904年(明治)37年8月大尉に進級し、奉天会戦では田義屯[* 2]の戦いに功績があった[5]。戦後金鵄勲章を授与される。

戸山学校教官を経て、少中佐時代は歩兵第六四連隊都城)附[4]技術審査部審査官、歩兵学校教官、同研究部員[6]、技術審査部議員、騎兵学校御用掛[7]技術本部御用掛[8]を歴任した。小山は小銃射撃に優れた技量を有していた[5]

1921年(大正10年)6月28日に大佐へ進級し、新発田連隊区司令官に就任[9]。翌年8月に歩兵第十六連隊新発田)の連隊長となる。3年弱在任し1925年(大正14年)5月1日、少将へ昇進。同月中に予備役編入となった。 従四位勲三等功四級[5][* 3]に叙されている。

脚注

注釈
  1. ^ 『日本陸海軍将官辞典』では10期とされるが、少尉任官時期が明治31年6月とする複数の資料と整合性がない。
  2. ^ 奉天に北方から連絡する法庫門街道沿いに所在。
  3. ^ 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿』では功四級と記載され、『陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 大正15年4月1日調』も同様であるが、その後の名簿では功五級となっている
出典
  1. ^ 『陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和6年4月1日調』
  2. ^ 職員録・明治十九年十二月・職員録改(栃木県)”. 2014年3月14日閲覧。(ACAR Ref.A09054380600、職員録・明治十九年十二月・職員録改(栃木県)(国立公文書館))
  3. ^ 陸軍歩兵学校 職員名簿甲 大正9年6月印刷”. 2014年3月14日閲覧。(JACAR Ref.C13070989200、陸軍歩兵学校 職員名簿 大正4年-昭和5年9月30日(防衛省防衛研究所)
  4. ^ a b 『稚松会会誌』明治45年
  5. ^ a b c 『』会津会雑誌第五十号』「 死亡会員略伝 小山満雄君」
  6. ^ 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調』
  7. ^ 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正6年9月1日調』
  8. ^ 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調』
  9. ^ 『官報』第2673号、大正10年6月29日。

参考文献

  • 福川秀樹 『日本陸海軍将官辞典』 芙蓉書房出版
  • 『会津会雑誌第五十号』 1937年



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