小僧時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/30 02:31 UTC 版)
武川村では小学校を出ると青年会に入れられ、強制的に書初を出させられた。字も書けず道具も無かったので、学校のごみ捨て場に行き墨の欠片、筆の軸と毛を拾ってきてご飯粒でくっつけ、家族が寝静まってから古新聞の表裏にびっしりと練習した。その結果第一席を受賞し、当時関東随一の書家であった小川真庵に才能を見出された。月謝が払えないので指導を受けることはなかったが、家族や弟子を差し置いて、真庵から20枚の半紙手本を授けられた。 上京して叔父の印刷見習い工をしている時、中川和堂先生の所へお使いに行く事があり、毎日通ううちに「書きたかったら書きなさい」と机と半紙を用意してもらい、たった1度だけ後ろから筆を持って書いてもらった。このことから「私にとって、中川先生がただ1人の恩師」と後に語っている。また、この一件で勉学意欲が高まり、親に勉強したいと言ったところ叔父との仲が悪くなるのを恐れて勘当させられてしまった。
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