導水そして命名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 17:54 UTC 版)
1859年(安政6年)に傳は三本木へと復帰、同年5月4日ついに導水され、水路としての機能が開始される。そしてこの地が実り豊かになるようにと願いをこめて藩主南部利剛により稲生川と命名された。その後も太平洋目指して工事は続けられ、1866年(慶応2年)には十次郎により第二次上水計画が着手される。しかし1869年(明治2年)に開発は一時中止される。その後、傳は工事の再開と国費の投入を請願、これが認められたか否かは定かではないが、国有地払い下げの記録があるため何らかの協力は得られた模様である。そして1937年(昭和12年)ついに国費での開発が決定、翌1938年(昭和13年)より国営開墾が開始される。戦争により一時は中断するも、1946年(昭和21年)に再開され、1966年(昭和41年)ついに太平洋に到達し完成した。その後も古い水路の改良工事等が行なわれている。
※この「導水そして命名」の解説は、「稲生川」の解説の一部です。
「導水そして命名」を含む「稲生川」の記事については、「稲生川」の概要を参照ください。
- 導水そして命名のページへのリンク