寿永二年十月宣旨
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寿永二年十月宣旨(じゅえいにねんじゅうがつのせんじ)は、寿永2年(1183年)10月に朝廷から源頼朝に下された宣旨。頼朝に対して、東国における荘園・公領からの官物・年貢納入を保証させると同時に、頼朝による東国支配権を公認したものとされる。寿永の宣旨とも。
注釈
出典
- ^ a b c d 佐藤進一『日本の中世国家』第2章 鎌倉幕府 (岩波現代文庫、2007年。初刊は岩波書店、1983年)。
- ^ 川合康『源平合戦の虚像を剥ぐ』(講談社選書メチエ、1996年)第4章などを参照
- ^ 元木泰雄「院政と武士政権の成立」(『日本の中世8 院政と平氏、鎌倉政権』所収、中央公論新社、2002年)など。
- ^ a b 元木泰雄「頼朝軍の上洛」(上横手雅敬編『中世公武権力の構造と展開』吉川弘文館、2001年)
- ^ a b 上横手雅敬「鎌倉幕府と公家政権」(同『鎌倉時代政治史研究』所収、吉川弘文館、1991年。初出は『岩波講座 日本歴史』5、岩波書店、1975年)。
- ^ 保立道久 『中世の国土高権と天皇・武家』 校倉書房〈歴史科学叢書〉第3章「日本国惣地頭・源頼朝と鎌倉初期新制」などを参照
- ^ a b 佐藤進一「寿永二年十月の宣旨について」(同『中世史論集』所収、岩波書店、1990年。初出は『歴史評論』107号、1959年7月。)
- ^ 佐藤進一「寿永二年十月の宣旨について」(前掲書)のほか、上横手雅敬「鎌倉幕府と公家政権」(前掲書)など。
- ^ 山本幸司『頼朝の天下草創』40ページ(講談社、2001年)。
- ^ a b 河内祥輔『頼朝の時代 一一八〇年代内乱史』「京攻めの条件」(平凡社、1990年)
- ^ 元木泰雄「院政の展開と内乱」(同編『日本の時代史7 院政の展開と内乱』所収、吉川弘文館、2002年)。
- ^ 佐藤進一「幕府論」(『中世史論集』所収、初出は1951年)、同「寿永二年十月の宣旨について」。
- ^ 石井進「12-13世紀の日本」(『岩波講座 日本通史』第7巻所収、岩波書店、1993年)。
- ^ 石井良助「鎌倉幕府の成立時期」(『大化改新と鎌倉幕府の成立』所収、創文社、1958年。)
- ^ 近藤成一「鎌倉幕府と公家政権」(『新体系日本史1 国家史』所収、山川出版社、2006年)。
- ^ 本郷和人「武士政権の誕生」(『日本の中世』所収、放送大学教育振興会、2007)。
- 1 寿永二年十月宣旨とは
- 2 寿永二年十月宣旨の概要
- 3 脚注
- 寿永2年10月宣旨のページへのリンク