寛政の改革〜天保の改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 04:38 UTC 版)
寛政の改革期は、松平定信によって江戸・京都・大阪の3箇所に限られ、あるいは毎月興行の分を1年3回とするなど抑制されたが、文政、天保年間に入ると再び活発化し、手広く興行を許され、幕府は9年、三府以外にもこれを許可し、1年4回の興行とし、口数を増やし、1ヶ月15口、総口数45口までは許可する方針をとった。 江戸では、享保期の江戸の三富に加え、文政以降になると興行元は数十箇所へ増加した。主な寺社として浅草八幡宮、浅草観音、浅草三社、浅草念仏堂、浅草大神宮、浅草焔魔堂、本所回向院、深川霊岸寺、芝明神、愛宕山、西久保八幡宮、白山権現、根津権現、平川天神などがある。突富興行御免を受けた寺社は毎月または1年数回興行したので、好都合な財源であった。 これは、1842年(天保13年)3月8日に水野忠邦が突富興行を一切差止するまで続いた。
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