富田坂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/01 05:38 UTC 版)
富田坂(とんだざか)は、白浜町富田から安居(あご)を結ぶ。明光バスの富田バス停を下車し、高瀬川沿いの道をさかのぼると、草堂寺の城壁を思わせる石垣に出会う。この石垣の脇から旧道ははじまり、道を進むと、一里塚跡に着く。これは、上述のように紀州藩が整備したもので、和歌山から22里を示している。 林道を抜けると、七曲りの急坂がはじまるが、これが富田坂である。富田平野や白浜から田辺湾にかけての海を横目に、坂を登り切ると、なだらかな起伏の尾根道である。自然林をたどり、峠の茶屋跡を過ぎ、安居辻松峠(あごつじまつとうげ)に着く。峠を越えると、平地までは林道が続き、日置川河畔の安居集落(西牟婁郡白浜町)で里に降りる。 峠の茶屋跡 または茶屋の壇(ちゃやのだん)。現地の案内板を含め、これを常設の茶屋の跡とする資料があるが、実際に常設であったのは近代以降のことで、明治維新の頃から1919年(大正8年)までのことである。 安居辻松峠(あごつじまつとうげ) 地蔵立像あり。紀州藩の一里塚の跡地とされ、道の両側に塚が築かれて松が植えられていたと伝えられることから、この名が付いた。 安居集落 かつて安居村(あごむら)と呼ばれ、『紀伊続風土記』にも登場する大辺路の要地であった。大辺路を旅した文人墨客の立ち寄った旧家の屋敷跡がある。
※この「富田坂」の解説は、「大辺路」の解説の一部です。
「富田坂」を含む「大辺路」の記事については、「大辺路」の概要を参照ください。
- 富田坂のページへのリンク