富岡家資料
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 08:57 UTC 版)
敬明は行政官を退任後に山梨県で余生を過ごしたため、甲府市の富岡家には敬明や富岡男爵家に関する資料群が伝来している。富岡家資料は北杜市長坂郷土資料館や山梨県立博物館による調査・整理、目録化が行われており、総数約1800点あまりに及ぶ。 内訳は主に古文書や典籍などで、甲冑や刀など実物資料も存在する。江戸後期の小城藩時代のものから山梨県権参事、熊本県令・知事時代の行政官時代のもの、および退任後の漢詩関係の資料や、敬明没後の富岡男爵家資料が含まれる。旧藩時代から在任期間の短い山梨県権参事の資料は少く、漢詩関係資料や富岡男爵家資料が主体となっている。 旧藩時代の資料では刃傷事件を敬明自身が記した『丹心秘録』など注目される資料もある。山梨県権参事の資料では辞令のほか、大小切騒動を記した『大小切一条ニ付百姓騒擾略日誌』などがある。 熊本県知事時代には西南戦争を体験しており、敬明自身が戦争の経緯を記した『籠城日誌』がある。また、実物資料では敬明自身が入手したと思われる熊本城の瓦釘が伝存している。 敬明は行政官を退任後に山梨県で漢詩人として活躍したため、漢詩の草稿や色紙、揮毫(きごう)や漢詩集の『双松山房詩史』などがある。また、敬明晩年の日記『山梨日記』もある。
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