富山新庄教会牧師
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牧師になり、1919年(大正8年)家を購入して、9月から、亀谷夫妻で移り住む。富士見町教会牧師植村正久らの尽力で、地元をカルバリ山(ゴルゴダの丘)とみなして、富山新庄教会を設立する。1920年に富山日本基督教会の牧師を兼務する。アームストロング宣教師が新庄伝道所に幼稚園を設立する。 1925年6月18日亀谷愛子夫人が亡くなる。1926年に堀内千代子と再婚する。 1951年(昭和26年)に自伝として『仏教から基督へ―溢るゝ恩寵の記―』を著す。 1969年(昭和44年)牧師を引退し、名誉牧師になり篠原愛義が牧師に就任する。1972年(昭和47年)10月17日、昏睡状態に陥り、翌年1973年(昭和48年)3月16日に死去する。3月19日に葬儀が行われ、5月13日に記念礼拝が行われる。 亀谷は、キリストは仏教の破壊者ではなく、完成者であるとの信仰を持ち、富山での郷里伝道に終生仕えた。
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