富士見亭御文庫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 03:55 UTC 版)
江戸幕府成立以前の慶長7年(1602年)、徳川家康は江戸城本丸の南端にあった富士見の亭に文庫を建て、金沢文庫などの蔵書を収めさせた。また、慶長12年(1607年)に駿府城へ隠居した際は、蔵書の一部を持参して同城内にも文庫を設けている。 好学な性格であった家康は、古今の漢籍・和書を蒐集して書写や出版(伏見版・駿河版など)を行わせていたが、慶長19年(1614年)に駿府の蔵書のうち30部を江戸城の将軍・秀忠に贈った。元和2年(1616年)に家康が死去した際、江戸や駿府の蔵書は遺言に基づき将軍家・尾張家・駿府家(のち紀州家)の御三家に分配されたが、「日本の旧記及び希世の書冊は江戸へ献ずべし」との家康の遺志により、重要な書籍50部が選ばれ、以前の書物と合わせて富士見亭御文庫に収められた。これらを特に「駿河御文庫本」などと呼ぶ。
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