富士見台古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/22 04:51 UTC 版)
「橘樹神社 (川崎市)」の記事における「富士見台古墳」の解説
橘樹神社の裏手の丘にあり、前述のとおり弟橘媛陵であるとする説がある一方、この古墳は 6世紀頃に造られたもので、当時のこの地域の有力者の墓であるとする説もある。 ここ富士見台は江戸時代までは旧子母口村の一角であったが、近年になり都市化が進むと川崎市が本古墳周辺に宅地を造成し、地名も「子母口富士見台」に改められている。 かつては多摩川沿いの田園風景の中にそびえる丘であった富士見台は、現在は宅地造成や道路敷設によって削られ、古墳頂上部の一部、高さ 3.7m、直径 17.5m の部分のみが姿を留めており、公園として管理されている。頂上に登れるよう綱が渡されているが、その頂上から見える風景も宅地ばかりが続く光景となっている。
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