宿場の整備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 01:21 UTC 版)
近世宿場の主要な役割は、幕府や藩および商人の荷物輸送と旅人を休宿泊させることであった。そのため、宿駅には人馬と休宿泊施設を確保しておかなければならなかった。 郡山市に存在した宿場町宿場名概要笹川 中世の応永年間には篠川とも書き、篠川御所が置かれていた。1604年(慶長9年)、奥州道中が中世の篠川御所跡を南北に縦貫する道に回収整備された際に、集落も沿道に移され、1613年(慶長18年)に宿場と定められた。 日出山 慶長の新道建設により家を四日町から日出山に移し、日出山宿の宿場集落形成を計った。守山村・谷田川村を経て磐城平城下へ至る道が分岐する要衝の地である。 小原田 奥州街道建設を命じられた1604年(慶長9年)から1613年(慶長18年)に成立したと考えられている。1613年(慶長18年)宿駅としての町割が施行され、屋敷割図が作成された。 郡山 中世には交通・経済の要衝となっていた。街道は阿武隈川沿いにあったが、慶長年間(1596年〜1615年)西寄りに改修・整備され宿駅が置かれた。 福原 福原宿は、慶長年間の奥州街道建設により東の阿武隈川寄りにあった集落を今の地に移した。 日和田 天正年間までは西方の宮下にあり、その後根岸に移動し、駅の開設は慶長年間と推定される。 高倉 戦国期高倉城東の館東集落は阿武隈川の河川交通で賑わったと伝えられ、江戸初期に町場が形成された。
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