沿革・概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 01:03 UTC 版)
慶長5年(1600年) - 関ヶ原の戦いの後、徳川家康は全国主要街道の整備にとりかかる。 慶長14年(1609年) - 徳川家康が上洛する際、中山道の要衝で、徳川家開運の地であるお勝山の北方に、自らが上洛の往復をするにあたっての休泊施設お茶屋屋敷を設置する。設置は美濃国の諸大名に命じ、岐阜城の稲葉山(金華山)山麓に存在した、織田信長の住居、千畳敷御殿など61棟を移築させたという。廻りには土塁や空壕が設置され、宿泊施設であると同時に緊急時の砦、城郭の要素もあったという。 寛永年間(1624年~1644年) - 宿場の整備とともに必要なくなり、建物は取りこわされる。 昭和24年(1949年) - 中学絞建設に伴い遺構の西半分を校地としたため、現在東半分に、土塁・空濠の一部・井戸跡などが遺構として残っている。 昭和51年(1976年) - お茶屋屋敷跡が岐阜県の史跡に指定される。
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