家具の街
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 14:57 UTC 版)
「グランドラピッズ (ミシガン州)」の記事における「家具の街」の解説
現在のグランドラピッズの街の基礎が築かれたのは19世紀後半に入ってからであった。この頃、グランドラピッズは製材業と家具産業の中心地として栄えていくようになり、Furniture City(家具の街)と呼ばれるようになった。1876年にフィラデルフィアで開かれた国際展示会では、グランドラピッズは高品質な家具を生産する街として世界中にその名を知らしめた。また、この頃に始まった全米家具市は1960年代に至るまで75年間にわたって開かれていた。現在では事務用家具の生産が中心になっている。また、19世紀にはこの地にオランダ系の移民が大量に移入してきた。現在グランドラピッズに多く住むオランダ系住民の多くは、この頃に移入してきた移民の子孫である。 交通網も確立されていった。1867年にはグランドラピッズに鉄道が敷かれた。このグランドラピッズ・アンド・インディアナ鉄道はその数十年にわたって路線を拡大し、グランドラピッズを中心にしてマスキーゴンや北ミシガンのトラバースシティ、マッキノーシティへ、南へはカラマズーを経てインディアナ州に入りフォートウェインへ、さらに南下してシンシナティへと通じた。またシカゴへ通じる路線も敷かれた。1926年にはスタウト航空(Stout Air Services)による、全米最初の航空機の定期旅客便がグランドラピッズとデトロイトを結んだ。 1900年にはグランドラピッズの人口は87,565人を数えた。1916年、市はミシガン州法のホーム・ルール・チャーターを受け入れ、全米でも最初の部類に入るシティー・マネージャー制を採用した。現在でもグランドラピッズ (の市政はシティー・マネージャー制が採られている。
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