宮中殺人事件と退位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 04:58 UTC 版)
基経の出仕拒否からしばらく後の元慶7年11月、陽成の乳兄弟であった源益が殿上で天皇に近侍していたところ、突然何者かに殴殺されるという事件が起きる。事件の経緯や犯人は不明とされ、記録に残されていないが、陽成が事件に関与していたとの風聞があったといい、故意であれ事故であれ、陽成自身が起こしたか少なくとも何らかの関与はあったというのが、現在までの大方の歴史家の見方である。宮中の殺人事件という未曾有の異常事に、基経から迫られ、翌年2月に退位し、太上天皇となる(ただし、公には病気による自発的譲位である)。 幼少の陽成にはそれまでも奇矯な振る舞いが見られたとされるが、退位時の年齢が17歳(満15歳)であり、殴殺事件については疑問点も多く、高子・陽成母子を排除して自身の意向に沿う光孝天皇を擁立した基経の罪を抹消するための作為だともいわれる。
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