宗教面の改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 08:14 UTC 版)
「フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス」の記事における「宗教面の改革」の解説
宗教面では、キリスト教への優遇政策を廃止している。ユリアヌスは「異端」とされた者たちに恩赦を与え、キリスト教内部の対立を喚起した。彼は弾圧などの暴力的手段に訴えることなく、巧妙に宗教界の抗争を誘導した。異教祭儀の整備を進めたのも、ユダヤ教のエルサレム神殿の再建許可を出したのもそのためであった。これらの行動により、永くキリスト教徒からは「背教者 (Apostata)」の蔑称で呼ばれることになる。 その意図は教育行政に対してもよく現われている。362年6月に布告した勅令で、教師が自らの信じていないものを教えることを禁じた。これはキリスト教徒が教師となること自体は禁じていなかったが、実質的にキリスト教徒は異教のものである古典文学を教授することができなくなった。こうしてユリアヌスは、ギリシアの伝統ある文化・文明の「異教徒」による独占状態を作り出した。次世代の知識人層を「異教徒」で埋め尽くし、そこからのキリスト教徒の排除を図ったのである。ユリアヌスは表面的には宗教的な差別は行わなかったが、その内心では明らかにキリスト教勢力を打倒しようとしていた。 一説によれば、彼が復興を目指した「異教」は新プラトン主義の影響を受けたものであり、帝政以前からの伝統であるローマの国家宗教ではなかったという。論者が言うには、ユリアヌスの考えるギリシア的宗教とは、ギリシア神話やローマ神話に代表されるような伝統的多神教ではなく、太陽神とその下降形態である神々からなる単一神教 (henotheism) であった。いずれにせよ、ユリアヌスはギリシアやオリエントの伝統的な宗教に対しても寛容であった。
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