宍道氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/18 05:54 UTC 版)
宍道氏は、近江佐々木氏の支流に属する出雲源氏の出で、尼子氏祖となった尼子高久の弟、秀益(ひでます)を祖とする家柄であり、出雲国意宇郡宍道郷(現島根県松江市宍道町)に土着したことが始まりという。室町幕府の外様衆に列せられたため足利将軍家にも直属していた。 宍道氏は西出雲においては塩冶氏と同等の力を持つ勢力であり、出雲統一に向けて動いていた尼子氏にとっても障害であった。その為、父親は尼子経久から婚姻政策で圧力を受ける等していた。だが、その父であった経慶は塩冶興久の乱に加担した為に殺害されている。また第一次月山富田城の戦い以降に、尼子晴久は大内側に寝返った宍道氏や河津氏等を粛清。一族は他国へと追放される等の憂き目にあった。 宍道氏嫡流は、一時弟の宍道九郎が継承する形になったが、九郎も父や兄と同じく尼子義久の代には尼子氏から離反した。なお、隆慶は後に尼子氏当主となる尼子就易の曾祖父にあたる。
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