安全な連絡船への原点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 17:44 UTC 版)
まさに不運の連鎖による大事故であったが、この台風により、同夜函館湾では、洞爺丸以外にも4隻の車両渡船が沈没した。ことの重大さに鑑み、運輸省は1954年(昭和29年)10月に学識経験者による“造船技術審議会・船舶安全部会・連絡船臨時分科会”を、国鉄総裁は同年11月にやはり学識経験者による“青函連絡船設計委員会”を設置した。これらの審議会では、5隻の青函連絡船の沈没原因と、その対策等が審議検討され、答申書が出された。その答申内容に沿って、急遽補充の新造船だけでなく、沈没を免れた在来船や、浮揚後修復された復元船においても、車両甲板上に大量の海水が浸入するような悪条件下でも復原性が確保され、機関室の水密性も維持されて、推進機器類が容易に無力化されないよう対策が施され、その後の国鉄連絡船の安全規範の原点となった。各船の対策の詳細はW型船への対策、H型船への対策、日高丸への対策、大雪丸への対策、羊蹄丸への対策、檜山丸型への対策、十和田丸(初代)への対策の各項を参照のこと。
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