学歴詐称問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 08:09 UTC 版)
2004年5月にホームページなどで「1976年9月に米国ボストンのタフツ大学大学院(フレッチャー・スクール)卒業」 などとしていたが、必須の単位が一つ足りていなかったことが判明、同月20日に文部科学副大臣を辞任。初当選時の1990年や93年の衆院選で選挙公報などで卒業と虚偽記載していた事が発覚、卒業を信じていたとして意図的な詐称ではないと弁明したが、「現認したことがないのは事実だ」として卒業証書を受け取っていないことを認めた。 更に前年の2003年衆院選の際に配布した名刺、法定ビラ、パンフレットなどにも虚偽の学歴を記載していた事が発覚、法定ビラは公職選挙法の上限の個人分と政党分を合わせ11万枚作成していた。民主党の古賀潤一郎(後に議員辞職)の学歴詐称について「政治家以前に人間として決して許されるものでなく、早晩何らかの決断は必要」と激しく批判していたが、自身の議員辞職については「副大臣を辞することで責任は十分に果たした」などとして否定した。
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