妹E殺害事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/07/09 12:24 UTC 版)
「北九州監禁殺人事件/del20140716」の記事における「妹E殺害事件」の解説
1998年2月10日、別のマンションに移動した後、Xの指示の解釈をめぐって娘のGと口論になったE(度重なる通電によって耳が遠くなっていた)に対して、XはEのことを「おかしくなった」などと因縁をつけはじめ、Yに「Dみたいになったらどうするんだ」とEの死を連想する言葉を口にした。そして、XはYに対して「今から向こうのマンション(殺害が行われた場所)に行く。どういう意味がわかるな?」とEの殺害を示唆した。Xは殺害現場のマンションに移動した後で「俺は今から寝る。今から一家で結論を出しておけ」「俺が起きるまでに終わっておけ」とYらに指示した。この言葉をXからの殺害の命令と受け取っていたYとFとGは3人の話し合いの中で「Eの殺害を拒否したいが、Xの曖昧な提案の詳細を聞こうとすると通電される」「たとえ、殺害を拒否しても、Eはもっと酷い虐待を受けて辛い思いをした末に殺されるのではないか?」と悩んでいた。話し合いの結果Yら3人はXに話の中身を聞きに行くことになったが、Xの部屋に向かうドアが開かなかった。Yは「Eの処遇について終わっていないと自分たちも酷い目にあうし、Eは生きていてもXから虐待を受けて辛いだけ」とFに切り出すと、Fが「それなら自分がやる」とFがEの殺害を決意。Fは娘Gに対して、「お父さんが首を絞めるから、おまえは足を押さえて最後の別れのあいさつをしなさい」と問いかける。Eがいる浴室にFとEが入り、FがEの頸にコードをかけようとした瞬間、Fを凝視して「F、私、死ぬと?」と呟くEに、Fが「E、すまんな」と答え、Gに足を押えつけさせた上でFに絞殺させた(第4の殺人)。
※この「妹E殺害事件」の解説は、「北九州監禁殺人事件/del20140716」の解説の一部です。
「妹E殺害事件」を含む「北九州監禁殺人事件/del20140716」の記事については、「北九州監禁殺人事件/del20140716」の概要を参照ください。
- 妹E殺害事件のページへのリンク