女科の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:53 UTC 版)
「女科」と呼ばれる産婦人科の確立期は隋唐の頃であるとされ、その集大成として孫思邈の『千金方』が唐代に完成した。『千金方』は冒頭3巻に「婦人方」を置き、女性は女性の特徴を理解して治療せねばならないと説いている。 婦人の病に男子とは別の処方があるのは、妊娠・出産・不正出血など女性特有の病があるからである。婦人の病を治療するのは、男性の十倍難しい。……女性は嗜欲が男性より多く、病気になるのは男子より多い。さらに慈悲、愛憎、憂い、怒り、ヒステリーなどを加え、病根が深く、治療するのが難しい。 — 孫思邈、『千金方』 孫思邈は、一般の病気は男女とも同じであり、治療法も同じであると男女の本質的な類似性を再三強調しながらも、女性の持つ生殖機能をもとに男女を区別し、生育は女性にしかできない職務とした。特に出産については詳しく論じられており、巻二には「求子」「妊娠悪阻」「養胎(胎児保護と胎教)」「妊娠諸病」「子死腹中」といったテーマが、また巻三では産後の心得として「虚損(産後の衰弱)」「中風(産後風に当たること)」「淋渇(産後の排尿障害)」といったテーマがまとめられている。「求子」では男女の産み分けの方法を述べており、これは男子を生むことが求められていた当時の状況を反映している。 ただし、この段階での身体的区別は生理現象や生殖機能に限定されており、子宮・卵巣といった女性特有の器官に対する注目は南宋の陳自明『婦人大全良方』に始まるとされる。
※この「女科の成立」の解説は、「中国の女性史」の解説の一部です。
「女科の成立」を含む「中国の女性史」の記事については、「中国の女性史」の概要を参照ください。
- 女科の成立のページへのリンク