女子写真伝習所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/29 22:50 UTC 版)
「鈴木真一 (写真家)」の記事における「女子写真伝習所」の解説
女子美術学校の写真学科増設に賛同したものの計画が見送られたため、1902年に弟子の河村勇次とともに牛込西五軒町に女子写真伝習所を設立した。明治期において、同校は女性に写真術を教える唯一の教育機関であり、女子写真学校とも通称された。2年制の本科の入学資格は尋常小学校を卒業した満14歳以上とし、写真技術のほかに普通科の授業も履修、また経験者対象の研究科や2ヶ月修了の速成科のほか、まとまった通学時間が取れない場合の随意科が用意された。月謝は1円、その他実費が2、3円かかるところ、経済的に苦しい学生対象に奨学制度を設けること、写真館の就職には修正の技術者が求められ、女性の雇用が期待できると鈴木たちの学校を紹介した編者は述べている。女子の入学者が少なかったため、男子の入学も認められた。
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