女子バレーチーム誕生と初の国際ゲーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 20:25 UTC 版)
「日本のバレーボール」の記事における「女子バレーチーム誕生と初の国際ゲーム」の解説
日本でバレーのみに専念する最初の女子チームは、東京の第二高女、女子師範、兵庫の姫路高女、神戸第一高女、広島高女である。第6回極東選手権が大阪で行われたとき、女子バレーがエキジビジョンゲームとして登場した。これが日本女子の初の国際試合である。日本から多田徳雄が指導した関西代表の姫路高女と三橋義雄が指導した関東代表の竹早チームが出場し、中国の1チームとあわせて計3チームでリーグ戦形式で試合を行った。結果は次の通りで日本が快勝した。 姫路高女 2-0 中国 (21-11, 21-4) 竹早 2-0 中国 (21-0, 21-16) 姫路高女 2-0 竹早 (21-6, 21-8) 男子チームの悲惨な敗北に比べて女子チームの勝利は女子バレーボール史に光輝ある一頁をなすもので、姫路高女が極東の覇権を握ったことは、その後の国内に於けるバレーボールの普及に多大な好影響を与えた。各地女学校間のバレーボール熱はにわかに高まり、女子バレーボール界の進展は男子のそれを圧倒する勢いを示した。 極東選手権では1927年、神戸第一高女が優勝、1930年には愛知淑徳高女が優勝と女子は参加した大会では全て優勝している。
※この「女子バレーチーム誕生と初の国際ゲーム」の解説は、「日本のバレーボール」の解説の一部です。
「女子バレーチーム誕生と初の国際ゲーム」を含む「日本のバレーボール」の記事については、「日本のバレーボール」の概要を参照ください。
- 女子バレーチーム誕生と初の国際ゲームのページへのリンク