奥州再仕置軍の進撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 01:13 UTC 版)
九戸以外にも、奥州では大規模な一揆が起きていたため、これらの総鎮圧を目的として、秀吉は同年6月20日に号令をかけて、奥州再仕置軍を編成した。 白河口には豊臣秀次を総大将に率いられた3万の兵に徳川家康が加わり、仙北口には上杉景勝、大谷吉継が、津軽方面には前田利家、前田利長が、相馬口には石田三成、佐竹義重、宇都宮国綱が当てられ、伊達政宗、最上義光、小野寺義道、戸沢光盛、秋田実季、津軽為信らにはこれら諸将の指揮下に入るよう指示している。奥州再仕置軍は一揆を平定しながら北進して蒲生氏郷や浅野長政と合流、8月下旬には南部領近くまで進撃した。8月23日、九戸政実配下の小鳥谷摂津守が50名の兵を引き連れて、美濃木沢で仕置軍に奇襲をかけ480人に打撃を与えた。これが緒戦となった。9月1日に九戸勢の前線基地である姉帯、根反城が落ちた。九戸政実は九戸城に籠もり、9月2日には総勢6万の兵が九戸城を包囲し、以降攻防を繰り返した。
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