夫婦で留学、神経幹細胞・ES細胞との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 00:19 UTC 版)
「高橋政代」の記事における「夫婦で留学、神経幹細胞・ES細胞との出会い」の解説
1995年、脳神経外科医になっていた夫がアメリカに留学することとなり、二人の娘と共に渡米する。ソーク研究所で当時発見されたばかりの神経幹細胞の存在を知り、臨床医として網膜の治らない患者を診てきた高橋は、神経幹細胞から神経網膜もできるはずと考えた。眼科医でこれを知っているのは自分だけ、網膜の治療が自分の使命と思い、以後の一連の研究が始まった。しかし当初は5、6年でできると考えていたが、思ったより苦労することになる。 アメリカから帰国後も、京都大学で臨床医として患者に接しつつ、研究を進めた。体性幹細胞で実験を重ねたが、うまく行かない日々が続いた。2000年頃にES細胞に着目した。京都大学医学部の同級生で理化学研究所の笹井芳樹からES細胞を見せられる。ES細胞から脳の神経細胞を誘導しようとしていた笹井と共同研究を行い、小坂田文隆と共に世界で初めてとなるヒトES細胞から神経網膜の分化誘導を行うことに成功する。臨床実験に発展させようとするが、ES細胞には倫理上の問題があることから厚生労働省の認可が下りなかった。
※この「夫婦で留学、神経幹細胞・ES細胞との出会い」の解説は、「高橋政代」の解説の一部です。
「夫婦で留学、神経幹細胞・ES細胞との出会い」を含む「高橋政代」の記事については、「高橋政代」の概要を参照ください。
- 夫婦で留学、神経幹細胞ES細胞との出会いのページへのリンク