天草陶磁器
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天草陶磁器 |
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あまくさとうじき |
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陶磁器 |
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天領天草では、島内の各村の庄屋家が村民の自活の道を陶業に求めて、江戸初期・中期から磁器と陶器が焼かれていました。特に優れた陶石が流出された天草では、延宝(1673年~)年間以前から内田皿山焼の磁器が焼かれ、以降、高浜焼等の窯元で磁器が焼かれました。陶器は、明和2年(1765年)に天草郡本土村水の平(現本渡市)で水の平焼が創業するなど、日用の現代感覚に溢れた陶器が継承されています。 |
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熊本県 |
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平成15年3月17日 |
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天草陶石は焼成時の収縮度が小さく可塑性があって適度のアルカリを含有するなど、磁器の原料としても釉薬の原料としても理想的な陶石です。透明感のある純白の磁器や、柞灰を使った温かみある磁器です。陶器は釉薬の二重掛け技法による赤海鼠の陶器や、黒釉を使った個性的な製品が多いのが特徴です。 |
天草陶磁器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/07 08:30 UTC 版)
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天草陶磁器(あまくさとうじき)は、熊本県天草地方で焼かれる陶磁器類の総称である[1]。国の伝統的工芸品に指定された際、新たに名付けられた呼び名である[1]。内田皿山焼(うちださらやま)、高浜焼、水の平焼(みずのだいら-)、丸尾焼の四つが主な産地である[2]。純度の高い良質な天草陶石を使った透明感のある磁器や、釉薬の二重掛けの技法を用いた海鼠釉・黒釉の個性的な陶器が特徴である[2]。
産地の紹介
1676年(延宝4)頃から内田皿山で磁器が焼かれ、1762年(宝暦12年)頃には高浜村でも磁器が焼かれた[2]。陶器は、1765年(明和2年)に水の平焼が開窯し、1845年(弘化2年)には丸尾焼が開窯した[2]。
- 内田皿山焼
- 九州最古の磁器産地で、17世紀まで遡るといわれる。周辺には窯跡が多く、無数の陶器片が出土。その後は廃絶するが、昭和45年に復興。昭和56年には熊本県の伝統工芸品となった。青磁や白磁、染付などを焼く。
- 高浜焼
- 1762年の開窯で、地元高浜の庄屋、上田伝右衛門が肥前国から陶工を招いて、磁器を焼かせたのが始まり。質が良かったため、長崎奉行に目を留められ、オランダ向けの輸出品を中心に焼いた。その頃の代表作が絢爛な染錦手である。明治中期に廃窯、昭和27年に陶石販売を行っていた上田陶石合資会社が復興に漕ぎ着けた。白い器肌に呉須で彩られた意匠が特徴。キリシタン文化を意識したハイカラなデザインで知られる。
- 丸尾焼
- 江戸末期の開窯。生活にとけ込んだ民芸品を焼いた。今日では形に囚われない様々な陶器を焼いている。
- 水の平焼
- 明和2年の開窯。青黒い器肌が特色の海鼠釉を用いる陶器産地で、その元祖ともいわれる古窯。赤海鼠は代表的な釉薬である。
出典
天草陶磁器と同じ種類の言葉
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