天明の改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:45 UTC 版)
信寧の跡を継いだ8代藩主・津軽信明は改めて藩の財政改革に乗り出す。天明4年(1784年)、再登用した乳井貢はじめ、毛内有右衛門ら有能な士を登用。不正を行なう家臣や商人に対しては厳しい処罰で臨んだ。信明はさらに倹約令や出費の大幅削減、義倉設置による食糧備蓄、藩校の開設と教育の普及、藩法の制定、年貢徴収方法を定免法から検見法に改めるなどして、着実な改革を行なって財政を再建した。ところが信明は30歳の若さで急死、これには毒殺説もある。
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