天才少女出現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 14:05 UTC 版)
スケートを始めたのは、3歳のころ。家族レジャーの一環として近所のスケートリンク(名古屋スポーツセンター)に行くようになったのがきっかけだった。5歳のとき、このリンクで山田満知子が教えている子供たちのスピンやジャンプを真似して遊んでいたところを、山田に見出される。山田によれば、伊藤は自分の教え子よりうまく、ジャンプは飛び抜けていたという。幼稚園のうちから小学生のスケート教室に年齢をごまかして参加した。初級~上級の3クラスを合わせて10日間で卒業し、本格的にフィギュアスケートを習い始める。 1980年3月、小学校4年生で全日本ジュニア選手権に優勝。同年11月のNHK杯に特別出場し、日本全国に演技が放送されたことにより伊藤の存在が知られるようになった。1980年12月の世界ジュニア選手権に史上最年少の日本代表に選出され、フリー1位、総合8位となった。次いで12月の全日本選手権で3位入賞し、これは稲田悦子以来45年ぶりの小学5年生(11歳)での入賞で、このことから「天才少女スケーター」と呼ばれるようになった。 1982年11月、練習中に右足首を骨折し、全治1か月。12月の1983年世界ジュニア選手権などシーズンの残り試合をすべて欠場した。翌シーズン札幌で行われる1984年世界ジュニア選手権の出場を目標に努力した。
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