大風呂敷プロジェクト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 16:12 UTC 版)
「プロジェクトFUKUSHIMA!」の記事における「大風呂敷プロジェクト」の解説
大風呂敷プロジェクトは、フェスティバルの準備をする中で誕生した。大友が会場の放射性物質を懸念していたところ、木村真三が、地面にマスキングをすることを提案した。マスキングには、地面からの表面被曝を軽減する効果とともに、靴の裏について拡散することを防ぐ効果もある。ブルーシートを使う案も出たが、より見栄えのよいマスキングを検討し、風呂敷を使うことになった。 風呂敷を縫い合わせて大風呂敷にする制作は、美術家の中﨑透と建築家のアサノコウタが中心となって進めた。当初、中﨑とアサノは会場の広さを考慮して反対したが、「プロジェクトFUKUSHIMA!という大風呂敷を広げてしまったんだから、実際に大風呂敷を広げるのはどうか」という話になり、制作が決まった。大友の呼びかけで全国から風呂敷が寄せられ、8月には毎日段ボール10箱を超える量となり、制作を手伝った人々は地元の他にもさまざまな地域や年齢層におよんだ。送られた風呂敷に添えられたメッセージは、スタッフへの励みにもなった。大友は、福島以外の人も何かやりたいと思ってくれていることや、全国の人々とフェスティバルをするメッセージにもなると考えた。地面の設置や風圧の問題があったが、当日の設営では200人以上が手伝いに参加し、本番を迎えることができた。 大風呂敷は、多数の参加者によるアート作品として拡張していった。フェスティバルまでに縫い合わせた大風呂敷の面積は6000平方メートルを超え、フェスティバル後も制作は続き、札幌芸術祭2017のクロージングイベントでは10000平方メートルを超えた。
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