大阪弁へのこだわり
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出演番組で大阪弁を貫くようになったきっかけは、MBSへの入社後初めてのレギュラー番組であった『三菱ダイヤモンドハイウェイ』(MBSラジオで本編を制作していた企画ネット番組で1969年4月16日放送分からパーソナリティを担当)で、同年5月7日放送分からキャサリン・モーリス(「キャッシー」という愛称で当時活動していたタレント、女優のキャスリン・モリスとは別人)と共演したことにある。その番組では、外国人女性でありながら大阪弁でまくし立てるキャッシーに、大阪府出身の角も大阪弁で対抗。放送後に先輩のアナウンサーから「アナウンサーが大阪弁をしゃべるとは何事だ」と注意されたところ、「自分の考えていることを自分の言葉(大阪弁)でしゃべりたい」という希望を明かした。現に、同局のアナウンサー時代には、特別企画や緊急時を除いてニュースや報道番組へ出演する機会が少なかった。その一方で、後に放送された『すみから』『夜はクネクネ』『ぷいぷい』などでは、そのような角の語り口やキャラクターが生かされていた。 MBSアナウンサー室局次長時代に遭遇した阪神・淡路大震災(1995年1月17日)の直後には、当時出演していた『愛なのね』において、共通語で震災関連情報を伝えることに徹していた。しかし、後に発行された震災報道の記録集では、「被災地のリスナーから、『いつも通りの大阪弁で話してくれた方が安心する』と言われた。本当に(被災者を)励ますつもりなら、今こそ(普段から放送で使っている)大阪弁やったのに…。今回パーソナリティとして(大阪弁による被災者向けの放送を)やれなかったことで自信をなくした」との言葉を残している。
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