大門石垣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 01:12 UTC 版)
大門は御平庭と下千畳の間をとおる道路上にあり、城の大手門的なものであったと思われるが、この一帯には石垣の遺構が残されていた。しかし、廃城以降の人為的な破壊と降雨や雪解け水による浸水などで崩落していた箇所もあり、そのため1986年 - 1988年(昭和61年 - 63年)にかけて穴太積技術継承者の粟田万喜三によって復元工事が行われたが、その際の調査で石垣の構造や高さ、「鉢巻式石垣」と呼ばれる技法などが判明した。大門石垣遺構はその構造や技法などから蒲生・上杉時代の築造と思われ、関ヶ原の戦いの前に上杉景勝が徳川家康の攻撃に備えるために領内諸城の改修をおこなった際に築造された可能性があるが詳細は不明である。
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