大野雄山とは? わかりやすく解説

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大野雄山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/05 02:32 UTC 版)

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大野 雄山(おおの ゆうざん、1909年明治42年)- 1998年平成10年))は日本の画家

略歴

  • 1909年 - 愛媛県喜多郡内子町平岡に生まれる。
  • 1927年 愛媛画壇の草分け 牧田嘉一郎に絵画の手ほどきを受ける。
  • 1929年 東京美術学校教授 小林万吾に師事。東京淀橋洋画研究所、同舟舎に所属。
  • 1930年 光風会展に入選。愛媛美術展会友に推挙。
  • 1931年 白日会展に入選。光風会会員 小寺健吉に教えを乞う
  • 1932年 第一美術展に入選
  • 1933年 野田信から肖像画、装丁、商業図案を習得
  • 1934年 挿絵画家 小林秀恒の一門に入り、挿絵技法を習得
  • 1938年 講談社「キング」等11誌の挿絵執筆
  • 1942年 京城日報北海道子供新聞の挿絵執筆
  • 1945年 東京大空襲を逃れ実家の愛媛県喜多郡五十崎町に疎開
  • 1959年 五十崎町より松山市に転居し、画業に専念
  • 1960年 新世紀美術展に「岩堰」を出品。新世紀美術協会準会員に推挙。
  • 1962年 第五十回日本水彩展に「石手寺」を出品し、入選。以降も第53、55、56、57、59、60、61、63、65回展に出品し、通算10回入選した。
  • 1970年 第59回展に出品した「部落に有る河畔」がMO賞(奨励賞)
  • 1971年 松山市のヒロヤ画廊で第一回個展を開催。以降も通算15回個展を連続開催。
  • 1976年 ヒロヤ画廊で第一回「雄山会 水墨画展」を開催。以降も水墨画展を通算11回、チャリティ展など開催
  • 1977年 日本水彩展で会友に推挙
  • 1978年 白亜美術展に入選 白亜美術会会員に推挙
  • 1995年 日本水彩画会会員に推挙
  • 1998年 愛媛県松山市で死去。89歳
  • 1999年 ヒロヤ画廊で大野雄山遺作展を開催
  • 2018年 松山市のギャラリーリブ・アートにて「生誕110年 大野雄山絵画展」を開催

出典

1976年「原色日本水彩画集」p77「鈍川の秋気」油彩画100号掲載 1977年「原色日本水彩画集」p87 「新緑の栗田川」水彩画掲載 1984年度版「美術年鑑」(美術年鑑社)p540 現代洋画家として掲載 同上p681に、白亜美術協会会員として紹介 1991年度版「芸術家年鑑」(日本美術出版)p526 現代洋画家掲載 1992年度版「芸術家年鑑」(日本美術出版) p459 現代洋画家掲載 1976年 「Japanese」(IERA国際経済調査会刊)p 232 室戸の風景画と共に「日本の洋画家」として顔写真、プロフィールを紹介 1977年Japanese同上 p92に藁屋根の風景画と共に「日本の洋画家」として顔写真、プロフィールを紹介 1979年 「創立第1回白亜展画集」 p24に「菅行の秋声」油彩画50号掲載 2017年 「猿谷の民家」水彩画40号、「桜くもる道後」水彩画を愛媛県美術館に寄贈 この内、猿谷の民家は、85周年日本水彩画集p97掲載

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