大管長会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/03 09:01 UTC 版)
「トーマス・S・モンソン」の記事における「大管長会」の解説
1985年、教会大管長のスペンサー・W・キンバルが死去した後、新しく大管長として任命されたエズラ・タフト・ベンソンはヒンクレーとモンソンを顧問として選んだ。ベンソンの後継者のハワード・W・ハンター大管長の顧問として奉仕した。ハンターが死去後、ヒンクレーが大管長になり、モンソンが第一顧問とて奉仕することになった。2008年1月27日のヒンクレー大管長の死去まで、大管長会顧問として奉仕すると同時に、12使徒定員会会長として奉仕した。その間、ボイド・K・パッカーが代行会長として働いていた。 2008年2月3日にモンソンは大管長となった。彼は顧問として、ヘンリー・B・アインリングとディーター・F・ウックトドルフを選んだ。モンソンが生まれた頃、教会員は世界中に650,000人いて、ほとんどがアメリカの西の方に住んでいたのだが、大管長になったときには13,000,000人を超え、その大多数がアメリカ以外に住んでいた。2012年10月31日の時点で、モンソンが発表した31棟の神殿が建設中または計画中であった。 ジョージ・W・ブッシュ大統領がユタ州を訪れたとき、モンソンとその顧問たちは大統領と会った。2009年7月20日、モンソンと12使徒のダリン・H・オークス長老は共に、バラク・オバマ大統領とハリー・リード上院議員に会い、オバマの家族歴史の記録が乗っている5冊の書物を贈った。オバマ大統領が2015年にユタ州を訪問した際、集会を開き、アインリングやウックトドルフに会ったのだが、モンソンは出席しなかった。教会代表者はその理由を、その次の週末に行われる教会の総大会に体力を保っておくためだと語っている。
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