大溝祭祀遺構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 03:45 UTC 版)
大溝祭祀遺構は、城之越遺跡を最も特徴づける遺構で、平野部のA地区で検出されている。3ヵ所の井泉(2ヵ所は石積み)からの湧水を引いた溝(流路)であり、溝の法面には貼石が施される。溝と溝との合流部には、立石を配した突出部や、溝に下りるための階段が配されており、後世の日本庭園的景観として注目される。すべての溝が合流した地点より下流は素掘りの大溝とする。また貼石溝に囲まれた中央部には、周囲を石で囲まれた15メートル×10メートルの楕円形の広場があり、祭祀行為の斎行場所と推定される。 大溝からの出土遺物としては、多量の土器・木製品・植物遺体がある。土器は、古式土師器の小型丸底壺・高坏の割合が非常に高く、小型丸底壺のうちには胴部に穿孔を有するものがある。また当時としては希少な、韓式系土器の把手付鍋・甕が各1点検出されている。木製品としては、この時期で最も一般的な耕作用農具が一切認められない一方で、扉などの建築部材、飾弓・刀形などの祭祀具が検出されている。植物遺体としては、多量の桃核のほか、井泉の1つから出土したヒョウタンがある。植物相の分析によれば、祭祀遺構当時には大溝周辺は森林であり、大溝の水は非常に清浄であったとされる。 この大溝祭祀遺構は、古墳時代前期後半-中期の4世紀後半-5世紀頃に祭祀の盛期を持つと推定される。大溝は古墳時代後期には埋没しつつあり、奈良時代には完全に埋没したとされるが、その時期の遺物の「庭」の墨書銘土器(須恵器坏)の出土が注目される。 出土土器城之越学習館展示。 出土小型丸底壺城之越学習館展示。
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