大溝の箱樋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 10:22 UTC 版)
大溝の工事が進むと、小西川に大溝がぶつかってしまうことが問題となった。そこで伊左衛門は小西川の上に大きな箱樋を作って、対岸に水を渡すことにした。しかし、大きな箱樋を作るための木材が得られるような山は丹波村にはなかったので、藩主に直訴し、峯山藩主の土地である権現山の木を切らせてもらえるように要請した。すると、藩主は木製ではなく、より丈夫な赤銅製の箱樋を代わりに与えると言ったが、伊左衛門は村人の手でも修理や保全のしやすい木製の箱樋が良いと説明した。藩主はこの伊左衛門の先を見通した考えに感心し、必要な時に好きなだけ木を切ってよいとする許可を与えた。無事に箱樋は完成し、1655年(明暦6年)に大溝も出来上がり、6年に及んだ「丹波の大溝」工事は完了した。峰山町丹波に水がいきわたり、以後、現在まで約400年にわたり丹波郷の田の約4割にあたる200石を潤している。 その後も箱樋は権現山の木材で修繕されて用いられ、近代にコンクリート製に架け替えられたが、21世紀初頭には塩化ビニール製となっている。
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