大政奉還建議
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慶応3年(1867年)10月探索方となった弘道は京都へ馳せ参じ、大政奉還の舞台裏で立ち働くことになる。同年10月3日(1867年10月29日)、土佐藩は大政奉還の建白書を将軍・徳川慶喜に提出した。これを受けて同月13日(1867年11月8日)慶喜は諸藩重臣を二条城に召集し意見を諮った。薩摩藩・小松清廉、広島藩・辻将曹、土佐藩・後藤象二郎らと共に備前藩周旋方・牧野権六郎(成憲)は家老の代人として大政奉還を将軍に建言した。弘道は牧野との意見交換、国元への報告、他藩への周旋・探索と奔走した。
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