大戦末期の部隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 14:37 UTC 版)
1918年の西部戦線における最初の攻勢(Frühjahrsoffensive, 「カイザーシュラハト」とも呼ばれ、3月21日より攻撃開始)は、この戦争でドイツ側に有利な状況をもたらすものとされた。この攻勢では多数の突撃大隊が戦闘部隊として出撃可能となっていたが、戦略的突破口という目的を達成することはできずまた、大戦末期から兵力の消耗により突撃大隊は中隊規模にまで縮小された。 兵士の大半はほとんど戦争に対する意欲も熱意もなかったので「攻撃師団 (Angriffsdivisionen)」と改名された師団から約4分の1が突撃大隊に選ばれ、25歳から35歳(もともと突撃大隊では25歳以上の男性をほとんど受け入れていなかった)までのすべての男性が含まれ、突撃部隊の方式で訓練され、最新の武器を装備していた。これらの師団が訓練を行っている間、師団の残りの4分の3は塹壕の防衛に忙しく「塹壕師団 (Stellungsdivisionen)」と呼ばれた彼らは、旧式の装備と年配の兵士で苦戦することになった。 大戦後、最後に残った突撃大隊「第5突撃大隊 ローア」は、カッセルの最高陸軍司令部確保のために投入された。
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