大師河原酒合戦とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 大師河原酒合戦の意味・解説 

大師河原酒合戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 21:29 UTC 版)

酒合戦」の記事における「大師河原酒合戦」の解説

慶安元年1648年8月に、大師河原神奈川県川崎市川崎区)で行なわれたこの酒合戦は、酒井雅楽頭の殿医の茨城春朔がその仮名草子水鳥記』(寛文2年1662年)刊)に軍記物語擬して記していたので知られる。また。『近世奇跡考』五に、地黄酒戦として記述がある。 東軍は、地黄次(茨城春朔)を主将とし、鎌倉の甚坊常赤、赤阪の毛倉坊鉢呑、武州の宿の住人半斉坊数呑、川崎住人小倉又兵衛忠酔、多摩郡村の住人佐保田の某酔久、小石川住人佐藤権兵衛胸赤、平塚住人来見坊持、江戸ふな町の鈴木半兵衛呑勝、浅草名古屋半之丞盛安、同木下杢兵衛尉飯嫌、飛坂の三浦新之丞明、麻布佐々木五郎すけ呑、同弥三右衛門酒丸八王子松井金兵衛夜久川崎南河原住人斉藤伝左衛門忠呑、喜太郎醒安などを率い太子河原村大蛇丸底深(池上太郎左衛門)の家に押し寄せた西軍は、大蛇丸底深を主将とし、太子河原村名主池上四郎兵衛常広竹野小太郎湛呑、同弥太郎数成、米倉八郎衛門吐次、藪下勘解由左衛門尉早呑、池上長吉底成、同百助底平、田中徳坊呑久、朝腹九郎左衛門底安、同佐太郎忠成、山下作内請安、池上三郎兵衛強成、またを九次郎常佐などである。 『水鳥記によれば、この結果は、「昨日迄も今日迄も鬼神と云はれし底深も僅か三時中にせり勝給ふ恐ろしき」という。一説に、西軍勝利終り地黄秘蔵龍杯を大蛇丸底深に獲られたという。 龍杯の龍は「さす、のむ」の寓意であり、龍杯は『江戸名所図会によれば、径は畳の目18目であり、容量は7合余であるという。

※この「大師河原酒合戦」の解説は、「酒合戦」の解説の一部です。
「大師河原酒合戦」を含む「酒合戦」の記事については、「酒合戦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「大師河原酒合戦」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大師河原酒合戦」の関連用語

1
12% |||||

大師河原酒合戦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大師河原酒合戦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの酒合戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS