大宮区
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大宮区は、旧市時代の1982年に大字が消滅した。大原六丁目・七丁目では住居表示が実施されている。 町丁住居表示実施地区大原六丁目・七丁目 住居表示未実施地区東町一丁目・二丁目、天沼町一丁目・二丁目、大成町一丁目 - 三丁目、上小町、吉敷町一丁目 - 四丁目、北袋町一丁目・二丁目、櫛引町一丁目、桜木町一丁目 - 四丁目、下町一丁目 - 三丁目、寿能町一丁目・二丁目、浅間町一丁目・二丁目、大門町一丁目 - 三丁目、高鼻町一丁目 - 四丁目、土手町一丁目 - 三丁目、仲町一丁目 - 三丁目、錦町、堀の内町一丁目 - 三丁目、三橋一丁目 - 四丁目、宮町一丁目 - 五丁目 大字なし
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大宮区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 03:50 UTC 版)
明治大正期には「賤ケ岳七本槍」の練り子を出したが、1956年(昭和31年)9月にお城大太鼓と呼ばれる太鼓を練り物として継承することとした。「力太鼓」と称される勇壮な大太鼓が特徴で、後年、棒振り、鐘がここに加わった。他区の棒振りが2人1組のみであるのに対し、大宮区の棒振りは3人1組で舞う3人棒と半棒、2人1組で舞う二人棒とがあり、多彩な技芸を伝承する。また、子どもの三人太鼓も他では珍しく、大宮大太鼓の特徴とされる。宮入りにも他区にはない特徴があり、一の鳥居から二の鳥居までは屋台は通路幅いっぱいに練り廻しながらゆっくりと進むのに対し、棒振りはこの間を数回走って往復し、屋台を誘導する。二の鳥居に着くと屋台はしばし止めて「揚げパイ」を打ち込むが、棒振りはこの間に本殿前まで走り、太鼓屋台との間を数回往復して屋台を誘導する。 大宮区の所在は小浜市小浜大宮。後瀬山の麓にある地区で、堀川に沿い、古くは丹後街道として発展した。 世帯数及び人口は61戸・人口150人(2006年4月1日現在)。
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