大学設置から現在まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 06:09 UTC 版)
「都留文科大学」の記事における「大学設置から現在まで」の解説
都留市の中心部である谷村は、江戸時代に興譲館という郷学が設立されるなど、教育・文化を重視する風土があり、県立臨時教員養成所の誘致や短期大学への移行は市民の力が大きく働いた。市民のボトムアップによって設立された大学という点では日本では希有な存在である。しかし、地方小都市による大学運営は並々ならぬ苦労があり、1960年代終わりには県立移管が浮上。さらに1970年代初めの国立移管(都留市外への移転を伴う)は都留市長選挙の際に選挙公約になったほどであった。しかし現在は市も大学を政策の大きな柱の一つとして位置づけている。
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