大字内瀬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 01:29 UTC 版)
古来、水尾荘の中に属していた。旧石高は旧石高は416石2斗8升2合。現在の大池・玉瀬町周辺である。 1615年(元和元年) 内藤信正の領地となる。 1618年(元和3年) 徳川代官の支配となる。 1625年(寛永2年) 板倉重宗の領地となる。 1657年(明暦3年) 同族の永井重形の領地になる。 1681年(天和元年) 徳川代官の支配地になる。 1713年(正徳3年) 大坂城代松平勝以の役知となる。 1719年(享保5年) 石高416石2斗8升2合のうち、410石8斗6升勺は徳川代官の支配に戻るが、5石4斗3升1合4勺は永井直期の領地となる。 1744年(延享4年)正月 徳川代官支配地が、田安家の領地となる。 1868年(明治元年) 田安家領地が御料地となり、松平忠興・九鬼隆義が管理。 同年5月晦日 (旧暦) 田安家領に戻る。 1869年(明治2年)6月 (旧暦) 御料地が上地により、田安藩の支配にとなる。 同年同月 (旧暦) 永井氏領が上地により、高槻藩の支配となる。 同年12月26日 (旧暦) 旧田安藩地が廃藩置県により兵庫縣の管轄となる。 1871年(明治4年)7月15日 (旧暦) 高槻藩が廃藩置県のため高槻縣となる。 同年11月20日 (旧暦) 旧田安藩地が兵庫縣から大阪府の管轄に変更。同日、高槻縣も大阪府となる。 1880年(明治13年)7月2日 水尾村・真砂村と連合して1村に独立。
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