大字二階堂
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二階堂村と称していた。旧石高は677石2斗9升2合であった。現在の茨木市星見町周辺である。 元和の初めより596石5斗1升2合が長谷川式部小輔の領地になる。 1649年 (慶安2年) 長谷川氏の領地のうち、80石7斗8升が永井直清の領地になる。 1868年(慶応4年)5月24日 長谷川氏領地が大阪府司農局の支配に移る。 同年6月8日 長谷川氏領大阪府司農局の分割により北司農局管轄になる。 1869年 (明治2年)正月20日 長谷川氏領北司農局が摂津縣設置により、摂津縣の管轄になる。 同年6月 永井氏領が上地され、高槻藩の支配にうつる。 同年7月14日 旧永井氏領高槻藩が高槻縣に変更。 同年8月2日 旧長谷川氏領兵庫縣の管轄に変更 同年11月20日 旧永井氏領・長谷川氏領とも大阪府の管轄となる。 1880年(明治13年)7月2日 1村に独立
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